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第2回『祝の島』座談会のお知らせ

映画公開までの間、祝島や本作品について撮影中の映像をきっかけに、あれこれおしゃべりしよう、ということで、ポレポレ坐でゲストをお招きして座談会を行っています。

次回は12月1日、ゲストにミュージシャンの坂田明さんをお招きします。坂田さんは、広島県長浜の目の前は瀬戸内海、後ろには山を背負った小さな漁村で生まれ育ちました。ご自身の著書『瀬戸内の困ったガキ』(晶文社/1994)には、いつも海が目の前に広がるその地での、愉快で人情溢れる村人たちの中で、元気満々の少年が繰り広げる楽しいエピソードで溢れています。この本を読みながら思い浮かべる情景は、私が心動かされて撮影している祝島の日常風景や人間関係と重なり胸が熱くなったのでした。

今回は“海のある暮らし”というテーマで、坂田さんと色々なお話しができればと思っています。もちろん、映像もこの日に合わせてただいま編集中です。今回は、本編では入れきれないかもしれない、さりげない島の日常風景を集めてご覧いただきたいなあと考えています。
12月1日ポレポレ坐でお待ちしています!


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■日 時 2009年12月1日(火)19:00~
■ゲスト 坂田明さん(ミュージシャン) 公式HP
 司 会 山秋真さん(ライター)
■会 場 Space&Cafeポレポレ坐 http://za.polepoletimes.jp/ 
■予約、問合せ 03-3227-1405 event@polepoletimes.jp
■参加費 1000円(お茶付き)

*以後、1月下旬、3月中旬に開催予定です。

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  1. 2009/11/26(木) 19:25:10|
  2. イベント
  3. | トラックバック:0

祝島島民・シーカヤッカーへの仮処分申請の取り下げを求める嘆願書

いつもお世話になっている祝島出身の女性から、嘆願署名のお願いが届きました。

「未来につながる生命(いのち)を育てる会」の吉岡すみれさんが世話人として、10月9日付けで中国電力から申請された祝島島民の会など39人の人々への仮処分申請を却下する嘆願書と署名を、山口地裁岩国支部に提出する予定です。

嘆願趣旨、詳細は以下の通りです。ご協力できる方は、ぜひお願いいたします。

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<中国電力株式会社による祝島島民の会など39人の人々への仮処分申請を却下する嘆願署名>

 中国電力株式会社は、原子力発電所建設計画に反対する祝島島民の会など39人の人々を相手取り、予定地である田ノ浦での妨害行為をやめるよう求める仮処分を10月9日付けで申請しました。
 上関原子力発電所建設予定地の長島・田ノ浦は、豊かな生態系の残る海ですが、中国電力株式会社は、十分な調査もしないまま、埋め立てに着手しようとしています。
 一方、予定地から4kmしか離れていない所に集落がある祝島の人々は、長年にわたる阻止行動及び9月10日からの一連の行動に見られるように、また、漁業補償金を受け取らない姿勢を貫いてきたことからも、原子力発電所を望まず、漁業で生計を立てたいと、はっきりと意思表示をしています。
 埋立て工事や原子力発電所建設・稼働などによって受ける生活への影響や心理的圧迫を考えると、祝島の人々が自身の望むように生計を立てることは、当然の権利として認められたものではないでしょうか。自身の生活を守るための、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」であると思われます。
 以上のことから、中国電力株式会社による祝島島民の会など39人の人々への仮処分申請の却下を嘆願します。


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次の審尋の11月25日に提出するため、署名の締切日は11月20日です。
署名用紙はこちらからダウンロードできます↓

【署名用紙 個人用】
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/files/shomeikojin.pdf

【署名用紙 団体用】
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/files/shomeidantai.pdf


  1. 2009/11/07(土) 13:44:20|
  2. 原発
  3. | トラックバック:0

大口電力販売量は前年より17%減

先月10月17日付けの宮崎日日新聞の記事によると、電気事業連合会が発表した2009年度上半期実績速報では、全国の電力会社10社合計の産業用大口電力販売量は、前年同期比より16.8%減の1285億7400万キロワット時となり、現行の電力10社体制となった1972年以降最大の下落率を記録したという。そして下落幅が最も大きかったのは、今まさに新規立地の上関原発建設にやっきとなっている、かの中国電力で22.9%減という。

電気は本当に不足しているのだろうか。

戦後、日本経済は、需要と供給の成長、市場拡大を目指し発展を遂げてきた。新しく作ること、大きくなること、増えること、早くなること。それが、豊かさの指標であり、いつの間にか幸せの指標にとってかわってきたのではないかと思う。でも、その一方通行の消費経済の中では、いつまでたっても、電気は足りないし、お金はさらに必要になる。その先に、果たして日本という国の幸せ、私自身の幸せはあるのか。

電気もお金も、あればあるほどいいもの、とは私には思えない。なぜなら、電気もお金も、何かの代替として成立しているものだからだ。それら自体に意味はなく、そして目的となり得るものではないと思う。一番大切なものではない。そしてそれらを生み出している背景の中には、様々な自然資源、多生物の命、原発に至っては、人命の犠牲までもが隠れている。

電気もお金も、今の人間社会には重要なものである。否定するわけではない。
でも、人間が手にした電力というもの、そこから発展した社会には、今、節操が必要だ。

映画を製作している中で、ある日、はたと気づく。映画を一本作るということは、膨大な電気を使うということなのだと。フィルムではなく、ビデオとなれば尚更である。どの機器を動かすのにも電気なのである。ビデオカメラの充電も電気。編集するために使用するパソコンも、再生機もモニターも、電気。コンセントを入れなければ、何も始まらないのである。映像自体が、この現代社会の産物なのである。

そうして、莫大な電気、エネルギーを使って、私はどのような作品を作ろうとしているのか…。大きな自分への問いかけである。






  1. 2009/11/04(水) 20:02:13|
  2. 原発
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中国電力、ブイ7基設置

本日29日の祝島島民の会blogより、引用させていただきます。
 http://blog.shimabito.net/

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本日未明、中国電力は上関原発建設予定地の海の埋め立て工事区域を示すブイ9基のうち、まだ設置していなかった残りの7基を設置しました
10/7に2基を設置した前回と同様に、田名とは別の場所から運んできたブイを、今回は作業台船7隻で夜中から夜明け前の間にいっせいに設置したものとみられ、まだ海上が暗い午前5時過ぎごろにはすでに設置は終わっていました
今回運ばれたブイも中古品のようで、塗装はされていましたがモノ自体は使い古して傷んだり凹みがあるようなものもあったとのことです

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こうして正規の手順を踏まずに進めなければいけなくなっている中国電力のこの事業は、どう考えてもおかしいと思います。人の目をかいくぐって、なし崩し的に作業を行い、少しずつ既成事実を積み重ねていく。近隣住民の命、生存権に直結している原子力発電所の建設、海の埋立てが、そんなふうに進められていいはずがありません。強く抗議します。



  1. 2009/10/29(木) 11:09:50|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0

石を投げる者

今は、新幹線の中。広島に向かう途中だ。今日の午後、横川シネマでラッシュ上映会をさせていただくことになっている。

この一年半、私が祝島に通ってきたのは、島の人がなぜに原発に反対しているのか、それを「原発反対」という言葉ではなく、島の人々が送っている日々の暮らしから描き出すためだった。時の流れ、空間、雰囲気、姿、表情、現象、関係性、コミュニティ…。そういったものを言葉でくくらずに、時空間で切り撮っていく。それが映像表現のひとつの醍醐味ではないかと思っている。だから、話しが聞きたい時も、キャッチな言葉を引き出そうとする“インタビュー”ではなく、普段と同じようにその人と“会話”することを心がけている。

9月10日より続いている田名埠頭での抗議行動は、少なからず私の内面にも大きな影響を及ぼしている。原発建設をめぐって、様々の思惑がうごめき、怒りや憤り、葛藤、不甲斐なさが、自分の中からも引き出され、迷路に迷い込んでしまったようだった。中国電力を相手に、必死に声をあげている島の人々の姿を目の当たりにすると、原発とは一体何なのか、そして島の人々が戦っている巨大な存在をどのように捉えればいいのか、途方に暮れていた。

しかし、今はあらためてこう思う。
私が祝島の人を通して描きたいものは、原発ではなく、島の人が育んできた生活であり、人間の“生”であること。前からそのことを思い続けてきたが、今は、この状況の中でなんとしてでも、それを貫こうという強い思いが自分の中で立ち上がってきている。私自身がこれから見出していきたい未来を、この祝島の人たちの生活の先に強く強く思い描き、祝島の人々が先祖代々、大切に紡いできた暮らしと、日常化された原発反対運動を、最後まできちんと撮り続けていこうと思う。


この映画をきっかけに知り合いになった方に、最近、こんな言葉をいただいた。

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表現は答えを出すことではありません。

表現者は、月を映す鏡のような湖面にただ石を投げる者です。
その波紋が湖面の月を歪め、自己否定や自己批判に襲われることを覚悟したうえで
石を探し、握り、手を振りおろす、勇気のある人たちです。

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この言葉を読んで、ハッとした。
表現とは、自分で生み出す、ということではないのだ。
考えてみれば、人が生み出せるものなんて、この世の中、なにもないのだ。
人間はすっかり色々なものを、自らの力で創造できる気になっているけれど…。
映画だってそうだ。私が作り出すのではない。私の中から出てくるものではない。既にそこに存在しているものに、ただ石を投げるのである。このことを決して勘違いしちゃいけないと、あらためて心に刻もうと思う。

枠で囲って、溜めたり出したりするものではなく、フタも底もないようなパイプのように、大きなものがそこを通り抜けていけばいいなと思う。

<2009年10月12日記>



ビワ袋かけ




  1. 2009/10/15(木) 07:54:02|
  2. 映画製作
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