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映画『祝の島』公式HP開設!

この度、映画の公式HPを立ち上げました。
きさらちゃんが1から習い覚えて作った力作です!
映画に関するニュースなども、こちらに随時掲載していきますので、どうぞご覧下さい。


映画『祝の島』公式HP
http://web.me.com/polepoletimes/hourinoshima/top.html







  1. 2009/08/26(水) 17:04:21|
  2. 映画製作
  3. | トラックバック:0

関西ラッシュ上映会のお知らせ

撮影が終わってからも、次から次へと知り合いが来島し、島のご案内で忙しくしています。その知り合いについては、またあらためてご紹介するとして、来週始めに、東京へ帰る途中、関西に立ち寄って、『祝の島』のラッシュ上映会をさせていただく予定です。
お近くの方は、ぜひぜひお立ち寄り下さい!!


★『祝の島』ラッシュ上映&川原一紗さんライブ
7月20日(月・祝)  
場所: そば屋藍(大阪狭山市)

時間: 開場 18:00 開演 19:00
料金: 3,600円(手打ちのお蕎麦込み) ※要予約

問い合わせ・ご予約:そば屋藍
Tel:072-368-1982
大阪狭山市大野台2-13-11
(南海高野線金剛駅よりバスでニュータウンセンター下車徒歩3分)

《川原一紗さん》
熊本県在住のシンガーソングライター。自作の曲をピアノ弾き語りで演奏する。日本全国、アメリカで活動中。http://www.kazusakawahara.com/


★映画「祝の島」製作経過報告会
7月21日(火)
場所:モダナーク ファームカフェ(神戸・三宮)

時間:open 19:00 / start 19:30
料金:1800円(1drink付) ※要予約

問い合わせ・ご予約:モダナーク
神戸市中央区北長狭通3-11-15
TEL: 078-391-3052
mail: modernark-cafe@chronicle.co.jp
http://www.chronicle.co.jp/main.html




  1. 2009/07/18(土) 00:13:32|
  2. 映画製作
  3. | トラックバック:0

分かち合いたいこと

自分がひとり暮らしを始めた時のことをふと思い出した。

もともと料理は嫌いではないので、時間がある時は、自炊をしていた。あるとき、とびきり美味しいシチューができて、それをひとりで食べていたら、突然、泣き出したくなるような寂しさがグググッと込み上げてきた。なんだ、これは!?

その時に気がついたのだ。
そうか、さしておいしくないものをひとりで食べる時よりも、おいしいものをひとりで食べる時の方が圧倒的に寂しいのだと。おいしくないものは、黙々とひとりで食べてじっとやり過ごせばいい。でも、たまらなくおいしいものを、おいしいね、と誰かと言い合えない、分かち合えない寂しさは、途方に暮れてしまいそうなくらい大きなものだった。

私という人間は、嬉しいこと、楽しいこと、おいしいこと、笑いたいこと、そういう“喜び”を誰かと分かち合いたいと心から求めている人間なのだとその時に自覚したのだった。これは大きな発見だった。そして、その強い強い欲求が、この映画を作るきっかけにまでなっているのだと、あの日の食卓を思い出しながら、あらためて思うのだった。

私が祝島にいて感じる、喜び、そして希望…。

今日から祝島に入った。7月1日に、大久保さん、きさらちゃんが合流する。今回もたくさんの喜び、楽しさ、面白さ、おいしさ!を、まずは私たちスタッフでおおいに分かち合いたいと思っている。



  1. 2009/06/30(火) 00:50:34|
  2. 映画製作
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ふと、立ち止まるとき

初めて歩く住宅街。
ある家の前を通りかかり、ふと見上げるとビワの木が薄オレンジ色の実をつけている。あと10日もすれば、食べ頃だろうか。3日前に、電話で話した祝島のマンちゃんは、ビワの収穫が始まって、いよいよ忙しくなってきたよ、と言っていたっけ。そう思った瞬間、祝島の山一面に広がるビワの木々の光景が浮かんできて、一瞬、風が吹き抜けていったような気がした。

そこからしばらく歩くと、今度は、薄ピンク色の見事な蔓バラのアーチが、その家の玄関を飾っている。また思わず立ち止まる。去年の今頃、山梨のバラ園で働いていた日々を思い出す。いつ見ても、バラは思わず息を呑んでしまうような美しさを讃えていて、そんなバラに囲まれながら、汗だくになって、傷だらけの手で働いていたっけ。日中はバラ園、そして夜は割烹料理屋で朝から晩までバイト漬け。そこから祝島に通い始めたのだった。山梨でお世話になったみなさんは、元気だろうか。

夜、駅の階段を下りて、自転車置き場に向かう途中、見上げた空には数えるほどしか星がなかったけれど、でもこの空も、あの星降る石垣島の空につながっているんだ、とふと思う。そしてナミイおばあや石垣のみなさんに会いたくてしょうがなくなる。

ふと立ち止まって、花や木や、空や月と共に、ふわっと心に浮かんでくる景色、そして大切な人たちの顔。そんな瞬間、心にぽっと灯りがともるような気がする。



  1. 2009/05/28(木) 01:21:38|
  2. 映画製作
  3. | トラックバック:0

六ヶ所村を舞台にした映画『へばの』を観て

既に東京での上映は終わってしまったのだが、少し前に『へばの』という映画を観た。

この映画の舞台は、核燃料再処理工場がある青森県六ヶ所村。
この村に暮らす主人公の女性は、再処理工場で働く男性との結婚を間近に控えていた。ある日、その男性が作業中にプルトニウムの内部被爆に襲われる。ささやかな家庭を築き、子どもを産み育てることを心待ちにしていた二人にとって、その子どもに被爆の影響が出るかもしれない、という事実は、二人を深く暗い穴に突き落とす。そして男性は忽然と姿を消してしまう。三年の月日が流れ、風の便りで、再びその男性が村に戻ってきたということを知った女は…。

監督は、29歳の新鋭木村文洋。スタッフも皆さん若く、体当たりの制作風景が、パンフレットからびしびし感じ取れる。

何か見たり、聞いたりする時に、私の中には、敏感に働くアンテナがある。それは、ズルいことを感知するアンテナだ。ごまかしてるな、とか、逃げてるな、とか、あざといな、とか、さぼってるな、とか。このアンテナは、ずいぶん感度がいいのだ。(ということは、もちろん、私の中にもそういう一面があるということだ。)そして、何かの作品を見たり、聞いたり、人と対する時に、けっこうそのアンテナに引っ掛かるものは多い。

でも、この映画には、ズルさをひとつも感じなかった。おそらく、監督、そして制作に関わるスタッフが、“生きる”ということにきちんと向き合っているからこそ生み出されているであろう緊張感が、映画の最初から終わりまで途切れることがなかった。ストーリー設定でわかりずらいところや、突拍子のないことなどは色々とあるのだが、でもそういったことを遥かに上回って、この映画が持つ力に引き込まれた。そして、木村監督の次回作がとっても楽しみになった。

話しを映画の内容に戻す。
被爆した時から、自分の命のカウントダウンが始まる恐怖。自分の子どもの生に影響を与えるかもしれないという絶望感。愛し合う男女のバラ色の未来を奈落の底に突き落とす一瞬の出来事。

映画を観ながら、胸をえぐられるような気持ちになったとき、私はしばらく忘れていた昔のことを思い出した。

今から6年前だったか。
私はチェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシの村を訪ねるスタディツアーに参加しようと考えていた。本橋監督の作品で、まさにその村々を舞台にした『ナージャの村』『アレクセイと泉』といった映画の配給、自主上映会の事務局をしてきて、ぜひ一度訪れなければ、と思い続けていたからだ。

でも、高濃度の放射能汚染地を訪ねることに、母親は大反対だった。未婚の女性が行く所ではない。興味本位で行く場所ではない。そういう場所に身を置くということが、どういうことなのかわかっているのかと。あなたが子どもを産みたいと思っているなら自覚を持てと。

私は投げかけられた言葉に、はっとして足がすくんだ。
はじめて、自分の身体で恐怖を感じた。全身が緊張で固くなった。

愕然とした。

私は何もわかっていなかったのだと。汚染地に一週間滞在したからといって、人体に即刻、影響が出ることは考えにくい。それでも、汚染地に足を踏み込む、ということを現実に想定した時、自分のこととして引き寄せられた瞬間、その恐怖で身体が固まったのである。それは、身体の本能的反応だったと思う。

そして、この地球上には、原子力発電所の事故で、被災した方々がたくさんいらっしゃり、未だにその汚染地で暮らしている人がいるのである。人間だけではない。様々なの生きものもそこにいるのだ。そして、支援するボランティア団体、医師、その他様々な背景を持って通い続けている人も数多くいる。

私はこの時から、原発には迷わず反対である。なぜなら、私の身体が拒否したからである。自分の身体が嫌がることを、私は賛成することはできない。

じゃあ、原発なしで、どうエネルギーが供給できるのか?
それならあなたは電気を使わないで生きられるのか?
と突っ込む人もいるだろう。

でも、だからといって、危険が伴うことや少々の犠牲を払うことは致し方ない、しょうがない、なんてとんでもない。電気だって、エネルギーだって、何のために必要なのか。それは人が生きるため、円滑に生の営みが廻るように開発され、普及されるようになったはずである。それが、どうしてその生命の犠牲を伴う危険性があることを、致し方ない、で片付けられるというのか。本末転倒である。机の上で、パズルゲームをするような話しではないのだ。これは生命の問題、私の身体、あなたの身体、そしてこれから生まれてくる子どもたちの身体のことなのである。

想像してみよう。
もし、自分の住んでいるこの町に、原発が建設されるということになったら。
もし、自分の親、パートナー、恋人、子どもが原発で働いていて、事故に遭ったとしたら。
もし、自分が被爆したとしたら。
想像してみよう。今、自分のこととして。

だから、私は“しょうがない”では決して終わらせられない。
私なりに誠実に、精一杯、この社会に向き合っていこうと思う。
生命を見つめていこうと思う。
そして、自分に出来ることをひとつひとつ、積み重ねていこうと思う。
それがこれから生命を引き継いでいく人間としての責任だと思っている。

へばの公式HP → http://teamjudas.lomo.jp/top.html


  1. 2009/03/20(金) 01:11:51|
  2. 映画製作
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