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一日の暮らし

新年明けましておめでとうございます。今年はいよいよ映画完成、公開の年となります。旧年中に引き続きまして、本年もどうぞよろしくお願い致します!

中学から8年間通っていた自由学園では、新しい年を迎えると、必ず「新年言志」を書くことになっていた。これは、新年を迎えてあらためて自分の中に立てる志、とでもいったものだろうか。だから、今でもついつい新年言志を考えるクセがついている。

今年の私の新年言志は、「一日の暮らし」ということ。祝島での撮影を通して、今、行き着いたことであり、昨年、私自身が一番おろそかにしていたことでもあった。

最後の撮影の中で、何十回と通った平さんの棚田にいつものように上がった。日も傾き、山はかなり冷え込んでいた。萬ちゃんのおじいさんが建てた小屋で、囲炉裏に薪をくべてくれた。こうして萬ちゃんの話しを、もう幾度聞かせてもらったことだろう。その時の萬ちゃんの言葉。「人間、一日の生活が一番大切ですよ。そして一日の生活の目線をどこに置くか、人間、自分の身の丈にあった生活をしないといかんですよ。」
囲炉裏の薪が放つあたたかくそして強い炎のように、その言葉は全身に、そして身体の芯まで沁みわたった。

昨年は、私自身が祝島の暮らしに惹かれ、それを撮り続けていたにもかかわらず、自分自身の東京での生活はといえば、すべてといっていいほど、“映画のため”一色だった。映画のことばかり考えて、まだ見ぬ映画完成の未来ばかりを思い続けていた。そして萬ちゃんの言葉を胸に振り返るとき、果たして、今ここにいる自分、自分の足元をきちんと見ていただろうかと問い直す。一日一日を、丁寧に生活すること。そんな基本のことを、○○のため、を理由におろそかにしていたことにはっきりと気づく。未来のために今を生きているんじゃない。今を生きること、今日の一日、今この瞬間を生ききること。その積み重ねの上に、明日がある。そしてそこに映画完成があったらいい。もともと、私は何かに夢中になると、それしか見えなくなるタチなのである。一番、私が陥りやすいパターンである。

これまた自由学園話しになるが、学園はキリスト教精神に基づいた教育を掲げ、毎朝、礼拝をしてからでないと授業が始まらなかった。私はクリスチャンではないが、8年間、毎朝聖書を読み続けたのだから、どうしたって、ふとした時に聖句が思い出されるのである。

聖書の中に、マルタとマリアの話しというのがある。それは、次のようなものである。

イエスがある村を訪ねたとき、マルタとマリアという姉妹がいる家に招かれる。マリアは、イエスの話しに聞き入っていた。姉のマルタは、もてなしのために忙しく立ち働いていたが、イエスにこう言った。「主よ。妹は私だけにおもてなしをさせています。手伝いをするようにおっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、あなたは、多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことは一つだけである。マリヤは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカによる福音書10章38節~42節)

先のことに気をとられ、或いは○○のためにを言い訳にして、今ここに自分が不在ではないか。必要なことは一つだけというならば、それは自分の身体と頭と心が一致して、何を選ぶかということだろうか。今を生きる、その一瞬、一瞬が積み重なっていく先に、映画の完成も、原発問題も、人類の平和もつながっているはずだ。

一日の暮らしをおおいに楽しんでいこう。




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  1. 2010/01/04(月) 01:54:39|
  2. 映画製作
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