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石を投げる者

今は、新幹線の中。広島に向かう途中だ。今日の午後、横川シネマでラッシュ上映会をさせていただくことになっている。

この一年半、私が祝島に通ってきたのは、島の人がなぜに原発に反対しているのか、それを「原発反対」という言葉ではなく、島の人々が送っている日々の暮らしから描き出すためだった。時の流れ、空間、雰囲気、姿、表情、現象、関係性、コミュニティ…。そういったものを言葉でくくらずに、時空間で切り撮っていく。それが映像表現のひとつの醍醐味ではないかと思っている。だから、話しが聞きたい時も、キャッチな言葉を引き出そうとする“インタビュー”ではなく、普段と同じようにその人と“会話”することを心がけている。

9月10日より続いている田名埠頭での抗議行動は、少なからず私の内面にも大きな影響を及ぼしている。原発建設をめぐって、様々の思惑がうごめき、怒りや憤り、葛藤、不甲斐なさが、自分の中からも引き出され、迷路に迷い込んでしまったようだった。中国電力を相手に、必死に声をあげている島の人々の姿を目の当たりにすると、原発とは一体何なのか、そして島の人々が戦っている巨大な存在をどのように捉えればいいのか、途方に暮れていた。

しかし、今はあらためてこう思う。
私が祝島の人を通して描きたいものは、原発ではなく、島の人が育んできた生活であり、人間の“生”であること。前からそのことを思い続けてきたが、今は、この状況の中でなんとしてでも、それを貫こうという強い思いが自分の中で立ち上がってきている。私自身がこれから見出していきたい未来を、この祝島の人たちの生活の先に強く強く思い描き、祝島の人々が先祖代々、大切に紡いできた暮らしと、日常化された原発反対運動を、最後まできちんと撮り続けていこうと思う。


この映画をきっかけに知り合いになった方に、最近、こんな言葉をいただいた。

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表現は答えを出すことではありません。

表現者は、月を映す鏡のような湖面にただ石を投げる者です。
その波紋が湖面の月を歪め、自己否定や自己批判に襲われることを覚悟したうえで
石を探し、握り、手を振りおろす、勇気のある人たちです。

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この言葉を読んで、ハッとした。
表現とは、自分で生み出す、ということではないのだ。
考えてみれば、人が生み出せるものなんて、この世の中、なにもないのだ。
人間はすっかり色々なものを、自らの力で創造できる気になっているけれど…。
映画だってそうだ。私が作り出すのではない。私の中から出てくるものではない。既にそこに存在しているものに、ただ石を投げるのである。このことを決して勘違いしちゃいけないと、あらためて心に刻もうと思う。

枠で囲って、溜めたり出したりするものではなく、フタも底もないようなパイプのように、大きなものがそこを通り抜けていけばいいなと思う。

<2009年10月12日記>



ビワ袋かけ




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  1. 2009/10/15(木) 07:54:02|
  2. 映画製作
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