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他人事ではない自分の事

9月10日より始まった田名埠頭での中国電力によるブイ移送、設置の中止を求める抗議行動は、今も祝島とシーカヤック隊の人を中心に、24時間態勢で続いている。

  < 詳しくは、右記ブログにアクセス下さい → 上関原発最新情報

上関原発建設予定地となっている田ノ浦という小さな湾は、祝島からは目と鼻の先、その距離わずか4キロ先の場所である。自然海岸が2割しか残っていないといわれる瀬戸内海にあって、いまだ手つかずの海岸を残し、そこでは数々の希少生物が育まれている。そしてここは魚が産卵する藻場であり、豊かな漁場なのである。

祝島の人たちにとっては、原発を建設される以前に、この田ノ浦が埋め立てられることは、島で生活を続ける上で死活問題であり、これを何としてでも止めなければいけないという一心で、この27年ひたすら反対運動を続けてきた。島の人にとって、この海は何にも代えることができない、唯一のもの。その何代にもわたって営まれてきた暮らし、海と共に生きてきた誇り、海に生かされてきた感謝の記憶、漁師としての自尊心は、中国電力が提示する補償金などでは決して売ることはできないと、これまで突き返してきた。

今は、10月21日までの設置許可期限まで、仕事も家の生活も投げ打って、力を振り絞っての抗議行動が続いている。この27年間、頑張って反対運動を続けてきた今ここで、踏ん張らないでどうする!そんな島の人たちの声が聞こえてくるような気がする。

9月に私たちスタッフも、この抗議行動に同行させていただいた。そして中電が作業を中止した20日は、祝島小学校と上関小学校•中学校合同の運動会の日だった。祝島小の3人の子どもたちと応援団が清水丸に乗り込み、上関小学校へと向かった。

この運動会は、私がどうしても撮りたいと思っていたものだった。というのも、昨年、ひとりでこの応援団に加わって運動会に参加した時、まさにこれが“祝島人”という姿を目にして、おおいに感動したからだった。

運動場をぐるりと参観者のテントが並んでいるのであるが、祝島のテントだけ、その応援の気合いが全く違う。祝島の人たちときたら、とにかくものすごい声援なのである。島のこどもたちも、そのテントの前にさしかかると、明らかに走るスピードがアップする。いやいや、それだけではない。その応援が向けられるのは、島の子どもたちにだけではないのだ。かけっこの途中に転んでしまう子がいたりしたらもうたいへん、ヤンヤヤンヤの応援。それに応えるようにまた子どもは一生懸命走り始める。その応援団の中にいて、おかしくて笑えるやら、なんだか嬉しくて泣けてくるやら。周りのテントを見渡せば、自分の子どもを必死に応援する親の姿。普通は、それがごくごく当たり前の光景なのだ。

これが私の知る島の人たちの一面だ。決して、自分のことだけではない。自分の子どもだけではない。そして、私が知る祝島の人たちに、“無関心”という言葉はほど遠い。

もちろん、祝島にも様々な人がいる。原発を推進している人もいる。だから「祝島の人はこうだ」とひとつに括ってしまうようなことは決してしてはいけないと思っている。ただ、私の知っているこういう島の人たちが、今の祝島、そして反対運動を引っ張っている、ということは言えると思う。

OL時代のある出来事を思い出す。会社からの帰り道、電車に乗ろうとしたら、なにかトラブルが起きた様子。見れば、少し先の開いているドアから、横たわっている男性の足先がのぞいている。慌ててそのドアに近づいていくと、確かに中年の背広姿の男性が、車中に倒れている。そしてその光景をみて、唖然とした。ラッシュ状態の車内は、誰もなにもせずに、その横たわっている男性を眺めているだけなのである。ホームの遠く先から、駅員が走ってくる姿が見える。素人がヘタにさわっちゃいけないとでも思っているのかもしれないが、とにかくホームに降ろさなければいけないことは一目瞭然である。思わず車内に走り込み、その男性の肩を持って、足を近くの男性に持ってもらって、ホームに移動させた。走り寄ってきた駅員さんにお礼を言われた。

私はムショウに腹が立ってしょうがなかった。どうして、みんな何もしないのかと。目の前に倒れている人がいるのに、せめて腰をかがめて、様子をみようとする人が、なぜひとりもいないのか。

祝島では、こんなことはあり得ない。そして、あのホームに私の知っている祝島の人たちがいたら、一番に手を貸しているだろうと。

「愛の反対は、憎しみではない、無関心である」とは、自由学園在学中によく聞かされたことばである。目の前に起きていること、耳に聴こえてきたこと、そのことに反応するということ。自分の中に起きたその反応に気づくということ。それが、関心の最初の一歩と思う。

抗議行動が今、この時も続いている中、東京にいて思うことは、どれだけ島で時間を重ねても、島を近くに感じられるようになっても、それでも、島の人たちのこの27年の苦しみに到底自分は行き着くことはできないのだということ。それが本当に本当に悔しい。そんなことを今更ながら、痛切に感じている。

そして、その私ができる精一杯のことはなんだろう。
自問自答し続けている。



田ノ浦
<田ノ浦から見える祝島>


田ノ浦2
<田ノ浦>






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  1. 2009/10/04(日) 20:20:44|
  2. 映画製作
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