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六ヶ所村を舞台にした映画『へばの』を観て

既に東京での上映は終わってしまったのだが、少し前に『へばの』という映画を観た。

この映画の舞台は、核燃料再処理工場がある青森県六ヶ所村。
この村に暮らす主人公の女性は、再処理工場で働く男性との結婚を間近に控えていた。ある日、その男性が作業中にプルトニウムの内部被爆に襲われる。ささやかな家庭を築き、子どもを産み育てることを心待ちにしていた二人にとって、その子どもに被爆の影響が出るかもしれない、という事実は、二人を深く暗い穴に突き落とす。そして男性は忽然と姿を消してしまう。三年の月日が流れ、風の便りで、再びその男性が村に戻ってきたということを知った女は…。

監督は、29歳の新鋭木村文洋。スタッフも皆さん若く、体当たりの制作風景が、パンフレットからびしびし感じ取れる。

何か見たり、聞いたりする時に、私の中には、敏感に働くアンテナがある。それは、ズルいことを感知するアンテナだ。ごまかしてるな、とか、逃げてるな、とか、あざといな、とか、さぼってるな、とか。このアンテナは、ずいぶん感度がいいのだ。(ということは、もちろん、私の中にもそういう一面があるということだ。)そして、何かの作品を見たり、聞いたり、人と対する時に、けっこうそのアンテナに引っ掛かるものは多い。

でも、この映画には、ズルさをひとつも感じなかった。おそらく、監督、そして制作に関わるスタッフが、“生きる”ということにきちんと向き合っているからこそ生み出されているであろう緊張感が、映画の最初から終わりまで途切れることがなかった。ストーリー設定でわかりずらいところや、突拍子のないことなどは色々とあるのだが、でもそういったことを遥かに上回って、この映画が持つ力に引き込まれた。そして、木村監督の次回作がとっても楽しみになった。

話しを映画の内容に戻す。
被爆した時から、自分の命のカウントダウンが始まる恐怖。自分の子どもの生に影響を与えるかもしれないという絶望感。愛し合う男女のバラ色の未来を奈落の底に突き落とす一瞬の出来事。

映画を観ながら、胸をえぐられるような気持ちになったとき、私はしばらく忘れていた昔のことを思い出した。

今から6年前だったか。
私はチェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシの村を訪ねるスタディツアーに参加しようと考えていた。本橋監督の作品で、まさにその村々を舞台にした『ナージャの村』『アレクセイと泉』といった映画の配給、自主上映会の事務局をしてきて、ぜひ一度訪れなければ、と思い続けていたからだ。

でも、高濃度の放射能汚染地を訪ねることに、母親は大反対だった。未婚の女性が行く所ではない。興味本位で行く場所ではない。そういう場所に身を置くということが、どういうことなのかわかっているのかと。あなたが子どもを産みたいと思っているなら自覚を持てと。

私は投げかけられた言葉に、はっとして足がすくんだ。
はじめて、自分の身体で恐怖を感じた。全身が緊張で固くなった。

愕然とした。

私は何もわかっていなかったのだと。汚染地に一週間滞在したからといって、人体に即刻、影響が出ることは考えにくい。それでも、汚染地に足を踏み込む、ということを現実に想定した時、自分のこととして引き寄せられた瞬間、その恐怖で身体が固まったのである。それは、身体の本能的反応だったと思う。

そして、この地球上には、原子力発電所の事故で、被災した方々がたくさんいらっしゃり、未だにその汚染地で暮らしている人がいるのである。人間だけではない。様々なの生きものもそこにいるのだ。そして、支援するボランティア団体、医師、その他様々な背景を持って通い続けている人も数多くいる。

私はこの時から、原発には迷わず反対である。なぜなら、私の身体が拒否したからである。自分の身体が嫌がることを、私は賛成することはできない。

じゃあ、原発なしで、どうエネルギーが供給できるのか?
それならあなたは電気を使わないで生きられるのか?
と突っ込む人もいるだろう。

でも、だからといって、危険が伴うことや少々の犠牲を払うことは致し方ない、しょうがない、なんてとんでもない。電気だって、エネルギーだって、何のために必要なのか。それは人が生きるため、円滑に生の営みが廻るように開発され、普及されるようになったはずである。それが、どうしてその生命の犠牲を伴う危険性があることを、致し方ない、で片付けられるというのか。本末転倒である。机の上で、パズルゲームをするような話しではないのだ。これは生命の問題、私の身体、あなたの身体、そしてこれから生まれてくる子どもたちの身体のことなのである。

想像してみよう。
もし、自分の住んでいるこの町に、原発が建設されるということになったら。
もし、自分の親、パートナー、恋人、子どもが原発で働いていて、事故に遭ったとしたら。
もし、自分が被爆したとしたら。
想像してみよう。今、自分のこととして。

だから、私は“しょうがない”では決して終わらせられない。
私なりに誠実に、精一杯、この社会に向き合っていこうと思う。
生命を見つめていこうと思う。
そして、自分に出来ることをひとつひとつ、積み重ねていこうと思う。
それがこれから生命を引き継いでいく人間としての責任だと思っている。

へばの公式HP → http://teamjudas.lomo.jp/top.html


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  1. 2009/03/20(金) 01:11:51|
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