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私が映画をつくるわけ〈小川紳介監督『満山紅柿』を見て〉

忘れもしない一年前の今日、私は小川紳介監督の映画『満山紅柿』を観た。

この映画、ずいぶん前から、どうしても観たいと思っていた映画のひとつだった。
というのも、私はあるドイツ人女性からこの映画のことを聞いていたのだ。

2002年、映画『アレクセイと泉』がベルリン国際映画祭の招待作品になったときのこと。私は幸運にも、監督と一緒に映画祭に参加する機会に恵まれた。そこで、現地の通訳兼コーディネータを引き受けてくれた、まだ年若くチャーミングなドイツ人女性シルビアと出会った。

彼女は日本語が堪能なばかりでなく、日本映画にもとても詳しかった。聞けば、日本に語学留学していた時に、小川監督の『満山紅柿』を観て、これほどの美しい映画を作る日本の文化、日本映画に強く惹かれたのだと話してくれた。若きドイツ人女性を虜にしたその映画とはいかなるものか。いつか私も観てみたいと、心の中に強く焼き付いたのだった。

そして、一年前の今日、ポレポレ東中野の特集の中の一作品として『満山紅柿』が上映されていることを知り、観に行ったのだ。

この映画の舞台は、山形県蔵王山麗の上山(かみのやま)。市内でもごく限られた地域にしか実らない極渋の紅柿は、日に干すと転じて、特上極甘の干柿になる。この名産品である紅干柿づくりの行程をひたすら描いた映画である。

三里塚闘争を撮り続けたことで知られる小川紳介監督は、70年代後半より上山市牧野に拠点を移し、自身も稲作をし、自給生活を続けながら、『1000年刻みの日時計ー牧野村物語』を製作。その中で、この干柿づくりもカメラをまわしていたが、結局本編に入れ込むことができず、後に独立した作品としての製作構想を持ちながらこの世を去る。それを、小川監督の師事を受けた中国人女性のペン・シャオリン監督が引き継ぎ、第二次撮影、構成、編集を行い、この作品を完成させた。

映画は紅干柿作りの全行程を丁寧に描いていく。
家族総出で何千個という柿の皮をひたすら剥いていく農家。その皮むき機の開発に情熱を捧げる鍛冶屋の親子。柿商を営む女将。延々と連なる干柿が日に照らされ輝く光景…。

映画の中では、絶妙、と表現したくなるようなシーンが何度も出てくる。
例えば、冒頭で、カメラをまわす準備をしていると、偶然通りかかったおじいさんとの会話が始まる。「ああ、牧野の小川さんですか。」という挨拶から、この地の紅柿の特徴、陽、風、土、乾燥地帯、霧などの条件がいかに干柿に合っているかと、滔々と語り出す。無駄のない的を得たその説明は実に見事で、それだけでこの地の紅柿が何たるかが、ナレーションなしで成立してしまうのである。通りすがりのおじいさんの言葉で。

映画の中で起きていく絶妙な瞬間の連続は、決して偶然のものではないということが感じられた。これは、この監督、スタッフが、この地で時間を共に過ごしてきているから開示された瞬間であり、この地に受け入れ許された者だからこそ記録できたもの、ということを強く思った。

映画を作るとは、時間を共に生きる、時間の共有なのだと。

そしてもうひとつ。この世の中には、記録して遺すべきものが確かにあるのだということ。この紅柿作りの記録は、これからの私たちの遺産となるだろう。

小川監督は1981年に大島渚監督とのインタビューでこう話している。「なにかが消えようとする時こそ、文化の真髄が見えてくる」と。そしてその文化の真髄を探すときに、人は多大な努力を払わなければいけない。

映画とは時間の共有。
そして今、記録していかなければいけないもの。

映画を観ての帰り道。
6年前に訪れた祝島がぼっかりと心に浮かんだ。必ず再び訪れようと心に決めていた祝島。
今がその時、そう思った。


『満山紅柿』 http://www4.ocn.ne.jp/~fdh/benigaki/


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  1. 2009/02/13(金) 14:34:11|
  2. 映画製作
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