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事業仕分け、電源交付金原子力関連は満額使途<11月28日配信毎日新聞>

注目を集め連日報道されていた事業仕分けだが、原子力関連、電源交付金については、満額が認められた。これに関連して経産省が出したコメント「原発という一種の迷惑施設を抱える苦労がある。国策に協力してきた地域の信頼を踏みにじることになる」とあるが、そもそも迷惑施設という認識がある上で、その押しつけをカネで解決しようとすること自体が、おおいなる不合理、ムダ以外のなにものでもない。「CO2削減対策としての原子力発電」と大手を振ってうたっているが、生命の危険を伴うことが前提では、どんなことを理由にしても正当化されることはあり得ない。様々な生物の生命が失われ、地球が破壊されたときには、CO2削減も、予算カットも何の意味も成さなくなるのだ。“生命”ということへの実感から離れたところでの論議は、虚しいばかりである。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091128-00000251-mailo-l18

事業仕分け:電源交付金 原子力関連は「満額」使途、地方裁量に/福井
【11月28日17時0分配信 毎日新聞】

 ◇原発推進、民主の思惑も
 政府の行政刷新会議の「事業仕分け」最終日の27日、仕分けの対象になった「電源立地地域対策交付金」(経済産業省、概算要求1149億円)のうちの原子力関連は満額認められた。使途についても「自由化して地方の裁量に任せる」と明記され、全国最多の14基の原発が立地する福井県に有利な結果になった。
 論点は二酸化炭素を多く排出する火力発電所への支出の是非に終始。原発関連はほぼ争点にならなかった。温室効果ガス削減目標を掲げ、原発を推進したい民主党の思惑も見え隠れした。
 取りまとめ役の枝野幸男衆院議員は「原発の是非を論ずる場ではない。他の住民の電力を作っている地域へ一定の配慮をするという(交付金の)趣旨は理解してほしい」と、冒頭から議論をけん制。経産省も「原発という一種の迷惑施設を抱える苦労がある。国策に協力してきた地域の信頼を踏みにじることになる」と訴えた。
 一方で使途については、県内のケースを例に挙げ自由化を訴えるケースが目立った。長隆・東日本税理士法人代表社員は、敦賀市立病院が同交付金を使って増床したのに医師が増えていない点を指摘し「ハコモノだけで人に金をかけていない」と批判。飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長は国が使途や時期を細かく縛っていることを挙げ、「山のような無駄が出ている。もっと生きた形で使ってほしい」と要望した。「立地地域とそうでない地域との差が大きすぎる」(海東英和・前滋賀県高島市長)「1149億の算定根拠が妥当なのか」(水上貴央弁護士)など批判的な意見も出たが、広がらなかった。
 仕分けに対し、全国の原発立地市町村で作る「全国原子力発電所所在市町村協議会」(全原協)会長の河瀬一治・敦賀市長は「原子力立地の視点を含めた議論が進められた。より良い方向への使途見直しにつながることを期待する」とコメントした。【酒造唯】



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  1. 2009/11/29(日) 12:54:51|
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第2回『祝の島』座談会のお知らせ

映画公開までの間、祝島や本作品について撮影中の映像をきっかけに、あれこれおしゃべりしよう、ということで、ポレポレ坐でゲストをお招きして座談会を行っています。

次回は12月1日、ゲストにミュージシャンの坂田明さんをお招きします。坂田さんは、広島県長浜の目の前は瀬戸内海、後ろには山を背負った小さな漁村で生まれ育ちました。ご自身の著書『瀬戸内の困ったガキ』(晶文社/1994)には、いつも海が目の前に広がるその地での、愉快で人情溢れる村人たちの中で、元気満々の少年が繰り広げる楽しいエピソードで溢れています。この本を読みながら思い浮かべる情景は、私が心動かされて撮影している祝島の日常風景や人間関係と重なり胸が熱くなったのでした。

今回は“海のある暮らし”というテーマで、坂田さんと色々なお話しができればと思っています。もちろん、映像もこの日に合わせてただいま編集中です。今回は、本編では入れきれないかもしれない、さりげない島の日常風景を集めてご覧いただきたいなあと考えています。
12月1日ポレポレ坐でお待ちしています!


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■日 時 2009年12月1日(火)19:00~
■ゲスト 坂田明さん(ミュージシャン) 公式HP
 司 会 山秋真さん(ライター)
■会 場 Space&Cafeポレポレ坐 http://za.polepoletimes.jp/ 
■予約、問合せ 03-3227-1405 event@polepoletimes.jp
■参加費 1000円(お茶付き)

*以後、1月下旬、3月中旬に開催予定です。

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  1. 2009/11/26(木) 19:25:10|
  2. イベント
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祝島島民・シーカヤッカーへの仮処分申請の取り下げを求める嘆願書

いつもお世話になっている祝島出身の女性から、嘆願署名のお願いが届きました。

「未来につながる生命(いのち)を育てる会」の吉岡すみれさんが世話人として、10月9日付けで中国電力から申請された祝島島民の会など39人の人々への仮処分申請を却下する嘆願書と署名を、山口地裁岩国支部に提出する予定です。

嘆願趣旨、詳細は以下の通りです。ご協力できる方は、ぜひお願いいたします。

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<中国電力株式会社による祝島島民の会など39人の人々への仮処分申請を却下する嘆願署名>

 中国電力株式会社は、原子力発電所建設計画に反対する祝島島民の会など39人の人々を相手取り、予定地である田ノ浦での妨害行為をやめるよう求める仮処分を10月9日付けで申請しました。
 上関原子力発電所建設予定地の長島・田ノ浦は、豊かな生態系の残る海ですが、中国電力株式会社は、十分な調査もしないまま、埋め立てに着手しようとしています。
 一方、予定地から4kmしか離れていない所に集落がある祝島の人々は、長年にわたる阻止行動及び9月10日からの一連の行動に見られるように、また、漁業補償金を受け取らない姿勢を貫いてきたことからも、原子力発電所を望まず、漁業で生計を立てたいと、はっきりと意思表示をしています。
 埋立て工事や原子力発電所建設・稼働などによって受ける生活への影響や心理的圧迫を考えると、祝島の人々が自身の望むように生計を立てることは、当然の権利として認められたものではないでしょうか。自身の生活を守るための、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」であると思われます。
 以上のことから、中国電力株式会社による祝島島民の会など39人の人々への仮処分申請の却下を嘆願します。


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次の審尋の11月25日に提出するため、署名の締切日は11月20日です。
署名用紙はこちらからダウンロードできます↓

【署名用紙 個人用】
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/files/shomeikojin.pdf

【署名用紙 団体用】
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/files/shomeidantai.pdf


  1. 2009/11/07(土) 13:44:20|
  2. 原発
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大口電力販売量は前年より17%減

先月10月17日付けの宮崎日日新聞の記事によると、電気事業連合会が発表した2009年度上半期実績速報では、全国の電力会社10社合計の産業用大口電力販売量は、前年同期比より16.8%減の1285億7400万キロワット時となり、現行の電力10社体制となった1972年以降最大の下落率を記録したという。そして下落幅が最も大きかったのは、今まさに新規立地の上関原発建設にやっきとなっている、かの中国電力で22.9%減という。

電気は本当に不足しているのだろうか。

戦後、日本経済は、需要と供給の成長、市場拡大を目指し発展を遂げてきた。新しく作ること、大きくなること、増えること、早くなること。それが、豊かさの指標であり、いつの間にか幸せの指標にとってかわってきたのではないかと思う。でも、その一方通行の消費経済の中では、いつまでたっても、電気は足りないし、お金はさらに必要になる。その先に、果たして日本という国の幸せ、私自身の幸せはあるのか。

電気もお金も、あればあるほどいいもの、とは私には思えない。なぜなら、電気もお金も、何かの代替として成立しているものだからだ。それら自体に意味はなく、そして目的となり得るものではないと思う。一番大切なものではない。そしてそれらを生み出している背景の中には、様々な自然資源、多生物の命、原発に至っては、人命の犠牲までもが隠れている。

電気もお金も、今の人間社会には重要なものである。否定するわけではない。
でも、人間が手にした電力というもの、そこから発展した社会には、今、節操が必要だ。

映画を製作している中で、ある日、はたと気づく。映画を一本作るということは、膨大な電気を使うということなのだと。フィルムではなく、ビデオとなれば尚更である。どの機器を動かすのにも電気なのである。ビデオカメラの充電も電気。編集するために使用するパソコンも、再生機もモニターも、電気。コンセントを入れなければ、何も始まらないのである。映像自体が、この現代社会の産物なのである。

そうして、莫大な電気、エネルギーを使って、私はどのような作品を作ろうとしているのか…。大きな自分への問いかけである。






  1. 2009/11/04(水) 20:02:13|
  2. 原発
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