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中国電力、ブイ7基設置

本日29日の祝島島民の会blogより、引用させていただきます。
 http://blog.shimabito.net/

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本日未明、中国電力は上関原発建設予定地の海の埋め立て工事区域を示すブイ9基のうち、まだ設置していなかった残りの7基を設置しました
10/7に2基を設置した前回と同様に、田名とは別の場所から運んできたブイを、今回は作業台船7隻で夜中から夜明け前の間にいっせいに設置したものとみられ、まだ海上が暗い午前5時過ぎごろにはすでに設置は終わっていました
今回運ばれたブイも中古品のようで、塗装はされていましたがモノ自体は使い古して傷んだり凹みがあるようなものもあったとのことです

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こうして正規の手順を踏まずに進めなければいけなくなっている中国電力のこの事業は、どう考えてもおかしいと思います。人の目をかいくぐって、なし崩し的に作業を行い、少しずつ既成事実を積み重ねていく。近隣住民の命、生存権に直結している原子力発電所の建設、海の埋立てが、そんなふうに進められていいはずがありません。強く抗議します。



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  1. 2009/10/29(木) 11:09:50|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0

石を投げる者

今は、新幹線の中。広島に向かう途中だ。今日の午後、横川シネマでラッシュ上映会をさせていただくことになっている。

この一年半、私が祝島に通ってきたのは、島の人がなぜに原発に反対しているのか、それを「原発反対」という言葉ではなく、島の人々が送っている日々の暮らしから描き出すためだった。時の流れ、空間、雰囲気、姿、表情、現象、関係性、コミュニティ…。そういったものを言葉でくくらずに、時空間で切り撮っていく。それが映像表現のひとつの醍醐味ではないかと思っている。だから、話しが聞きたい時も、キャッチな言葉を引き出そうとする“インタビュー”ではなく、普段と同じようにその人と“会話”することを心がけている。

9月10日より続いている田名埠頭での抗議行動は、少なからず私の内面にも大きな影響を及ぼしている。原発建設をめぐって、様々の思惑がうごめき、怒りや憤り、葛藤、不甲斐なさが、自分の中からも引き出され、迷路に迷い込んでしまったようだった。中国電力を相手に、必死に声をあげている島の人々の姿を目の当たりにすると、原発とは一体何なのか、そして島の人々が戦っている巨大な存在をどのように捉えればいいのか、途方に暮れていた。

しかし、今はあらためてこう思う。
私が祝島の人を通して描きたいものは、原発ではなく、島の人が育んできた生活であり、人間の“生”であること。前からそのことを思い続けてきたが、今は、この状況の中でなんとしてでも、それを貫こうという強い思いが自分の中で立ち上がってきている。私自身がこれから見出していきたい未来を、この祝島の人たちの生活の先に強く強く思い描き、祝島の人々が先祖代々、大切に紡いできた暮らしと、日常化された原発反対運動を、最後まできちんと撮り続けていこうと思う。


この映画をきっかけに知り合いになった方に、最近、こんな言葉をいただいた。

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表現は答えを出すことではありません。

表現者は、月を映す鏡のような湖面にただ石を投げる者です。
その波紋が湖面の月を歪め、自己否定や自己批判に襲われることを覚悟したうえで
石を探し、握り、手を振りおろす、勇気のある人たちです。

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この言葉を読んで、ハッとした。
表現とは、自分で生み出す、ということではないのだ。
考えてみれば、人が生み出せるものなんて、この世の中、なにもないのだ。
人間はすっかり色々なものを、自らの力で創造できる気になっているけれど…。
映画だってそうだ。私が作り出すのではない。私の中から出てくるものではない。既にそこに存在しているものに、ただ石を投げるのである。このことを決して勘違いしちゃいけないと、あらためて心に刻もうと思う。

枠で囲って、溜めたり出したりするものではなく、フタも底もないようなパイプのように、大きなものがそこを通り抜けていけばいいなと思う。

<2009年10月12日記>



ビワ袋かけ




  1. 2009/10/15(木) 07:54:02|
  2. 映画製作
  3. | トラックバック:0

中国電力、抜き打ちで原発予定地沖にブイを設置

昨日、中国電力は抗議行動により立ち入りができずにいた田名埠頭とは別の港から灯浮標(ブイ)を搬出し、予定地近くの海上に工事区域を示すブイ2基を設置したと発表しました。設置したのは建設予定地を挟んで北側の取水口側と南側の放水口側のそれぞれ1基。そして中電はこの日、着手届を県に提出し、受理されました。これにより、上関原発建設予定地の埋立てに正式に着手したとみなされることになります。

祝島の人たち、そしてシーカヤックやその他大勢、現地で抗議行動をしている人たち、そして離れていても、この上関原発の行く末をずっと思い続けている人たち、9月10日から一ヶ月近く続いているこの事態に、誰もが緊張が抜けずに疲労が溜ってきているこの時の、この発表は、反対を願ってそこに関わる人たちにどれだけダメージを与えたかしれません。

でもこの27年間反対し続けてきた人たちは、今まで何度落胆し、そして立ち上がり続けてきたのだろうと思います。祝島の人たちは、これからも変わらず反対を続けることを、昨日の集会で確認したそうです。

下記の動画は、地元テレビ局KRYの当日のニュースです。






10/7についてのニュースリンク------------------------------------

■上関原発 埋め立て着手、予定より27日遅れ(YOMIURI ONLINE/九州 読売新聞)
■ブイ設置は熟慮の上での判断(中国新聞)
■中電、海面埋め立て着手 上関原発計画(中国新聞)
■上関原発海の埋め立て着手(KRY山口放送)
■上関原発・中国電力が埋め立て工事着手(tysニュース)



  1. 2009/10/08(木) 16:34:04|
  2. 原発
  3. | トラックバック:0

他人事ではない自分の事

9月10日より始まった田名埠頭での中国電力によるブイ移送、設置の中止を求める抗議行動は、今も祝島とシーカヤック隊の人を中心に、24時間態勢で続いている。

  < 詳しくは、右記ブログにアクセス下さい → 上関原発最新情報

上関原発建設予定地となっている田ノ浦という小さな湾は、祝島からは目と鼻の先、その距離わずか4キロ先の場所である。自然海岸が2割しか残っていないといわれる瀬戸内海にあって、いまだ手つかずの海岸を残し、そこでは数々の希少生物が育まれている。そしてここは魚が産卵する藻場であり、豊かな漁場なのである。

祝島の人たちにとっては、原発を建設される以前に、この田ノ浦が埋め立てられることは、島で生活を続ける上で死活問題であり、これを何としてでも止めなければいけないという一心で、この27年ひたすら反対運動を続けてきた。島の人にとって、この海は何にも代えることができない、唯一のもの。その何代にもわたって営まれてきた暮らし、海と共に生きてきた誇り、海に生かされてきた感謝の記憶、漁師としての自尊心は、中国電力が提示する補償金などでは決して売ることはできないと、これまで突き返してきた。

今は、10月21日までの設置許可期限まで、仕事も家の生活も投げ打って、力を振り絞っての抗議行動が続いている。この27年間、頑張って反対運動を続けてきた今ここで、踏ん張らないでどうする!そんな島の人たちの声が聞こえてくるような気がする。

9月に私たちスタッフも、この抗議行動に同行させていただいた。そして中電が作業を中止した20日は、祝島小学校と上関小学校•中学校合同の運動会の日だった。祝島小の3人の子どもたちと応援団が清水丸に乗り込み、上関小学校へと向かった。

この運動会は、私がどうしても撮りたいと思っていたものだった。というのも、昨年、ひとりでこの応援団に加わって運動会に参加した時、まさにこれが“祝島人”という姿を目にして、おおいに感動したからだった。

運動場をぐるりと参観者のテントが並んでいるのであるが、祝島のテントだけ、その応援の気合いが全く違う。祝島の人たちときたら、とにかくものすごい声援なのである。島のこどもたちも、そのテントの前にさしかかると、明らかに走るスピードがアップする。いやいや、それだけではない。その応援が向けられるのは、島の子どもたちにだけではないのだ。かけっこの途中に転んでしまう子がいたりしたらもうたいへん、ヤンヤヤンヤの応援。それに応えるようにまた子どもは一生懸命走り始める。その応援団の中にいて、おかしくて笑えるやら、なんだか嬉しくて泣けてくるやら。周りのテントを見渡せば、自分の子どもを必死に応援する親の姿。普通は、それがごくごく当たり前の光景なのだ。

これが私の知る島の人たちの一面だ。決して、自分のことだけではない。自分の子どもだけではない。そして、私が知る祝島の人たちに、“無関心”という言葉はほど遠い。

もちろん、祝島にも様々な人がいる。原発を推進している人もいる。だから「祝島の人はこうだ」とひとつに括ってしまうようなことは決してしてはいけないと思っている。ただ、私の知っているこういう島の人たちが、今の祝島、そして反対運動を引っ張っている、ということは言えると思う。

OL時代のある出来事を思い出す。会社からの帰り道、電車に乗ろうとしたら、なにかトラブルが起きた様子。見れば、少し先の開いているドアから、横たわっている男性の足先がのぞいている。慌ててそのドアに近づいていくと、確かに中年の背広姿の男性が、車中に倒れている。そしてその光景をみて、唖然とした。ラッシュ状態の車内は、誰もなにもせずに、その横たわっている男性を眺めているだけなのである。ホームの遠く先から、駅員が走ってくる姿が見える。素人がヘタにさわっちゃいけないとでも思っているのかもしれないが、とにかくホームに降ろさなければいけないことは一目瞭然である。思わず車内に走り込み、その男性の肩を持って、足を近くの男性に持ってもらって、ホームに移動させた。走り寄ってきた駅員さんにお礼を言われた。

私はムショウに腹が立ってしょうがなかった。どうして、みんな何もしないのかと。目の前に倒れている人がいるのに、せめて腰をかがめて、様子をみようとする人が、なぜひとりもいないのか。

祝島では、こんなことはあり得ない。そして、あのホームに私の知っている祝島の人たちがいたら、一番に手を貸しているだろうと。

「愛の反対は、憎しみではない、無関心である」とは、自由学園在学中によく聞かされたことばである。目の前に起きていること、耳に聴こえてきたこと、そのことに反応するということ。自分の中に起きたその反応に気づくということ。それが、関心の最初の一歩と思う。

抗議行動が今、この時も続いている中、東京にいて思うことは、どれだけ島で時間を重ねても、島を近くに感じられるようになっても、それでも、島の人たちのこの27年の苦しみに到底自分は行き着くことはできないのだということ。それが本当に本当に悔しい。そんなことを今更ながら、痛切に感じている。

そして、その私ができる精一杯のことはなんだろう。
自問自答し続けている。



田ノ浦
<田ノ浦から見える祝島>


田ノ浦2
<田ノ浦>






  1. 2009/10/04(日) 20:20:44|
  2. 映画製作
  3. | トラックバック:0
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