祝島での撮影で、欠かせない必須アイテムがいくつかある。
まずはなんといってもこれ、島帽子。

祝島は、日射しが強い。潮風も強い。
撮影を始めた去年の夏、猛暑の中、撮影に明け暮れ、私は日焼けで顔の皮が剥けるという大失態を冒した。「30代で肌が剥けるなんて、それも顔なんてもう致命的。あやちゃんは自分の肌を買い被り過ぎてるー!」と大久保さんから、厳しくも思いやり溢れるお言葉(笑)
もうそれ以来、ずぼらな私もUV対策に力を入れている。そしてこの島帽子は、そんな女性のつよーい味方なのである。ひさしが大きく、首根っこも隠れるこの帽子は、ほんと優れものである。
去年の夏、神舞で島の人たちと大分の伊美別宮に一緒に行ったときのこと。伊美で島帽子を被って撮影している私たちを見た里楽師さんが、島の婦人会のおばちゃんが一緒についてきたと勘違い。今年はやたら本格的にピンポイントで撮影しているなあと感心したのだと、あとで仲良くなった里楽師さんから聞いて大爆笑したのだった。
そう、この帽子をかぶると、いっきに島のおばちゃんに近づける魔法のアイテムなのだ。
今日は朝から一日お天気で、まさに島帽子日和でありました。
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- 2009/04/06(月) 23:00:01|
- 撮影編
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今は祝島にいる。
今回は、特に広島から柳井港駅に向かう電車の中から、今まで以上に嬉しくてワクワクしてしょうがなかった。なんでだろう。春がきたからだろうか。
そう、10日ぶりに戻ってきた祝島では、山のあちらこちらで山桜が花開き、今日などはまさにお花見日和。私の中では、梅はつましく、桜は豪快。どちらかといえば、梅の方が好きなのだが、でもここ祝島の桜は、群生して一面に咲き乱れるのとは違って、山々のあちらこちらを、ポッポッと薄桃色に染めて、その姿はとっても愛らしく、風情がある。

今回のロケで、なんといっても大きなことは、製作スタッフの中植きさらちゃんが、撮影中のアシストをしてくれることになったことだ。大久保さんと私の二人三脚から、トライアングルのチームに昇格である。本当にうれしい。
ここでちょっと中植きさらちゃんの紹介を。
彼女とのご縁は、7年前にポレポレの事務所に届いた一通の手紙だった。(…と、この話しをすると、本人は「またそんな昔のことを!恥ずかしいからダメ。」と怒るものだから、ここだけの話しである。)
その年、二十歳の誕生日を迎えるというその女性は、振り袖を作る代わりに、『アレクセイと泉』の映画上映会をすることを思い立った、と書き綴っていた。こんな二十歳の女の子がいるなんて。本橋さんと私は大興奮だった。その女の子がどんな人物か、そして夏の野外シアターでの上映、ということにそそられて、呼ばれてもいないのに、事務所のスタッフ全員で、当日の上映会に突撃訪問したのだった。そこにいた女の子が、まさにその人、中植きさらちゃんだった。
それからしばらくして、ポレポレタイムス社に来てもらうようになったのだから、彼女とは既に7年のお付き合いになる。
彼女は、干したてのお布団のような人。ふわっとあったかくて、懐かしい匂いがして、そこにいるだけで、なんだかほっとしてしまう。もちろん、事務的なお仕事から、お料理から、美術的センスから、突っ込みから、マルチな才能溢れる人である。
そう、昨年の秋、千葉の市原に、
松田正平展を二人で観に行ったときのことだ。美術館からの帰り道、なんだか気持ちの良さそうな、古い神社の前を通りかかり、引き寄せられるようにお参りをした。その帰りに、二人でおみくじを引いた。そしてきさらちゃんのおみくじには、胸を痛めるひとことが…。
“女難の相あり”
ズキッときた。
なぜならその頃、映画製作に彼女を巻き込んでしまったという責任を感じていたからだ。映画づくりというのは、人生が変わってしまうような出来事の連続だからである。
いやいや、私が巻き込んだというのもちょっと違う。
映画製作に関わり始めてから、感じていることがある。
映画になるべくものは既にそこにある。
そしてその映画自身が見える形を自分で取ろうとして、
必要なものを次々と引き寄せ、動かしていく。
そうして、この映画『祝の島』は、初めに私を巻き込み、本橋さんを巻き込み、きさらちゃんを巻き込み、大久保さんを巻き込んでいったのだ。そして、これからもまだまだ巻き込まれる人が続くのである。
映画の求心力というものは、魔力である。
あの手紙を読んだ時、その数年後に自分たちで映画を作ることになろうとは、私も、おそらく彼女も、夢にも思ってみないことだったに違いない。
- 2009/04/02(木) 23:40:20|
- 撮影編
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昨夜、ぎりぎりまで仕事をし、22時東京発の夜行列車に飛び乗った。
夕食のお弁当を食べ、ノートパソコンを開いて仕事の続きをしていたら、すっかり電車酔い。横になったら、連日の寝不足のおかげで、ぐっすり熟睡。明け方、すっきりと目を覚ました。
あまりにもめまぐるしかったこの一ヶ月、うまく島に心と体が移動できるか少々心配だったが、夜行列車は見事に、またワープさせてくれた。
一ヶ月ぶりの祝島では、冷たい雨が降っていた。
着くとすぐに、今、島では、急性胃腸炎が猛威をふるい、診療所に駆け込む人が続出と聞く。ビールス性で、吐き気、下痢、高熱などの症状があり、非常に感染力が強いという。
70、80代のじいちゃんばあちゃんにとって、感染したら一大事だ。
いつも遊びに寄らせてもらうおばちゃんもダウンして4日目という。
とっても心配。明日、また寄ってみよう。
滞在日数に限りがあるため、大久保さんも私も、胃腸炎になってはいられない。
うがい、手洗い、顔洗い(これ効くのだそうだ)を欠かさずに!です。
- 2009/02/03(火) 23:36:48|
- 撮影編
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2008年12月10日朝7時。いつもの場所に有志が集まり、行者堂の注連縄づくりが始まった。新しい年を迎えるための恒例の行事である。
まずは女衆が稲藁の向きを揃えていく。
それを木槌でたたいて柔らかくする。
藁の準備が整ったら、10人掛かりで太い注連縄を綯っていく。
鳥居と本堂それぞれに張るために二本。
ああでもない、こうでもないと、それはそれはにぎやかで、
作業中は、みんなの手と口が休まることはない。

撮影をしている私たちのために、急遽、この日そのまま行者堂に上がって、注連縄を張って下さることになった。
そもそも注連縄とは、神域と外界とを隔てる結界を作るためのもので、紙垂(しで)をつけた縄のことをいう。標縄、七五三縄とも書く。天照大神が天岩戸から引き出された際、二度と天岩戸に入れないよう注連縄で戸を塞いだのが起源とされているようだ。

この行者堂、奈良時代初期に、修験道の開祖といわれた役小角(えんのおづの)がここで修行したと伝えられている。今年は初詣もこの行者堂へあがった。そして思わず御守りを購入。
2009年、どうか島の人たちが息災で、
そしてこの映画撮影も無事にすすみますように。
- 2009/01/27(火) 23:20:14|
- 撮影編
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いつの頃からか、毎年、自分の部屋で使うカレンダーは、月の満ち欠けがわかるものにしている。私は小さい頃から月が大好きで、夜、外を歩く時には、まず月が出ていないかを探す。今でこそ、月の作用については、一般的に色々と言われるようになったけれど、私が十代の時に月の本を手にした時は、まさに目から鱗、やっぱりそうだったんだ、と熱中して読み込んだ覚えがある。
この身体、月に作用されていると私はすごく実感している。特に女性であるから敏感なのかもしれない。色々とあるのだが、例えば、二十代の頃、なぜか心がざわざわして落ち着かない。なんだか大声で叫び出したくなる。定期的にそういう時が訪れる。私の場合、それはたいがい満月の日だった。(今はすっかり落ち着いている…)仕事をしていても、普段なら大したことでもないのに気が立つ。そのうちに、今日は満月だから気をつけなくちゃ、と思うようになった。
以前、ポレポレタイムス社の社員で毎日出勤していた時は、ボスの本橋さんは自分の手帳に満月の日を書き込み、この日はあやさんに要注意!としていたほどだった。なんて心優しい上司だろう(笑)
月をじっと見ていると、月も自分を見ていると思う。間違いなく、私のことを見ていると思う。そして、とてもとても不思議な気持ちになる。
今年のカレンダーは、今までと少し趣向が違う。潮汐カレンダーにしたのだ。月の満ち欠けと一緒に、潮の満ち引きがわかるもの。
祝島は海抜きにしては語れない。海のことを勉強したい、理解したい。そしてできるだけ多く海の様子を撮影したい。そのためには、潮の満ち引きがとても重要なのである。漁も、その日の潮で決まる。漁師のノブちゃんがいつも教えてくれるのだが、何度聞いても難しい。
このカレンダーがとってもいい。
これを見て、今日は、祝島の漁師さんたちは、漁に出たのかな、天気はどうだったかなと思い巡らすのだ。
祝島の海にワープできるこのカレンダー、とても気に入っている。
- 2009/01/23(金) 00:45:28|
- 撮影編
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